$Ardent Obsession II


SMマニア 1996年(平成8年)8月号の 長田英吉 『私のSM遍歴』にその時の様子が書かれている。後年氏が確立したSMショーと比べると、演劇色の強いものだったようだ。 長田英吉 が、向井一也 のSM劇やカジバシ座 などでSM色の強い劇団「赤と黒 」をよく観ていたということなので、それらの影響を強く受けたものなのだろう。
アルス・ノーヴァ 』での第1回オサダ・ゼミナール が開かれたのがいつだったのかよく分からない。1965年としている記録が多いが、そうなのであろうか?向井一也 や劇団「赤と黒 」の活動時期と合うような合わないような、悩ましいところである。アルス・ノーヴァでの第1回オサダ・ゼミナール のチラシとか観劇レポートなどのよりダイレクトな証拠が欲しいところである。

アルス・ノーヴァ 』は現存していると思っていたので、夏休みに聖地巡礼にでもしたいなと思っていたところ、なんと『アルス・ノーヴァ 』は2007年に閉館しているではないか!しかも、建物はもう取り壊されたとか・・ショックである。

アルス・ノーヴァ 』の歴史は古く、1955年(昭和30年)に遡ることができる。この時は、舞台芸術協会のスタジオとしてオープンしたようだ。オーナーは今井重幸氏。今井重幸氏は伊福部昭の弟子にあたる作曲家で、インターネットで調べると多くの現代音楽作品がひっかかってくる。作曲を通じて、ダンス・舞踏・芝居にも関係が深かったようでで、ネットではヨネヤマ・ママや土方巽を育てた人のような書き方がされている。

特に、土方巽は1958年(昭和33年)からしばらく、『アルス・ノーヴァ 』の2階に居候していたらしく、「舞踏」というネーミングも今井重幸氏に由来するとする記述も見受けられる。

舞台芸術協会のスタジオがいつからスタジオ・アルス・ノーヴァに変わったのか分からないが、アルス・ノーヴァは、もともと劇団名(おそらく今井氏の劇団)で、劇団の稽古場兼持ち小屋として使っていたようだ。ネットによると、寺山修司 の天井桟敷がスタートする前に劇団アルス・ノーヴァが解散しているようなので、1966年より前の話だ。

このように、阿佐ヶ谷アルス・ノーヴァ は、「バレエ練習場」というよりは、むしろ「前衛舞踏・前衛演劇」の実験場としてその筋には知られた存在だったようである。そういった流れの中で、第1回オサダ・ゼミナール アルス・ノーヴァ で開かれことは、70年代の後半に、実験演劇団を主宰していた玉井敬友 桜田伝次郎 が、積極的に長田英吉 にアプローチした事実が納得できる。


Posted: 2010-08-02 01:55:02

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