想像を絶する惨状に唖然とした儘、ただ無力でことの推移を見守るしかなかった此の二週間余りだった。
親戚の殆どは宮城県で、漸く無事の連絡がとれたのは六日目だった。
ひと家族が石巻市に居て、津波の影響を直截的に受けた。
押し寄せる濁流が目視できる迄来ていて、車を乗り捨て高台へと走り、いよいよ危ないという直感で見知らぬ住宅に駆け込んだ。二階から其の住人の方が、早く上がれ、と叫んだという。津波の勢いは失せつつあるくらいの地点に在った其の住宅の周りも、水浸しになった。其の儘、孤立した住宅の二階で住人の方々と過ごし、三日間が過ぎて、漸く救援が到達し、避難できたという。
其の無事の知らせが届いたのは、震災から十二日後だった。
夥しい数の犠牲者に対して、ただ哀悼するしかない。
そして、杞憂では済まされなくなった原発の破壊状況で、首都圏を含めて、其の生活に直結する危急の事態が現実となった。科学が人智の及ばぬ自然の猛威に敗北したということではない。想定外の災害なので対策が及ばなかったという見解を臆面も無く電力会社や保安院が披露するのならば、原発は安全という此れ迄の陋醜な嘘を謝罪しなければならない筈だ。最悪の場合というシミュレーションも無く、風評災害を恐れて土壌や水質や海洋の汚染を覆い隠すような喧伝を繰り返すのならば、我々は此の現況を自分たちで判断して、自分や家族を守るしかないということだ。
東西冷戦の時代に世界中で行なわれた核実験や、最悪の事態と言われたチェルノブイリ原発事故で、我々はどれくらい放射性物質の影響を受けたのか。刻一刻と悪化している福島第一原発の状況を、少なくとも其のような尺度でもいいから知りたいと思う。
膨大に増え続けるばかりの使用済み核燃料の問題。老朽化した施設の処遇の問題。そんな、原発の危険、そして其の愚かしさを認識できていたにもかかわらず、私という大衆の一人は其れを黙認してきた。今、其の返り血を浴び始めているところなのかもしれない。
写真は、ニューヨーク・タイムズ紙撮影による岩手県陸前高田市の風景。
余りにも儚く悲しい光景。
其れでも我々は生きなければならない。あらゆるプロパガンダ的報道を見極めつつ。
Authors: 渡邊安治 yasuji watanabe
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